囲碁由来の言葉
八百長の意味は元々よい意味だった!?
また、将棋由来の慣用的表現としては、「高飛車」「成金」などの言葉があります。それだけ、囲碁や将棋が昔の庶民の生活の中に溶け込んでいたことの証ともいえるでしょう。ここでは、囲碁に関係する慣用句を取上げ、その語源や意味を解説していきます。
捨石
捨石(すていし)とは、一部を犠牲にして全体の利益を図ることで、「我々が捨石となって頑張りますから…」などというように使います。囲碁では、取られずに済む石を意図的に相手に取らせることによって、隣接するより大きな相手の石を取ったり、外側を強化して厚みを築いたりすることがよくあります。初心者のうちは石を取られるのは損だという観念が強いので、石を捨てて得をするという考え方ができませんが、強くなるにつれて石を捨てる技を身につけていきます。
駄目
ところで、野球などで「駄目押しの追加点」などのように使われることがありますが、この場合は、どんなに点差が開いていても、理論的には「逆転が絶対にない」とは言いきれないわけですから、囲碁の場合とは若干ニュアンスが違います。
なお、囲碁の部分的な攻め合いの場面では、「ダメ」は意味が変わってきて、白黒双方のダメの数が攻め合いに勝つか負けるかを左右します。「ダメを詰めること」は駄目どころか、重要な意味を持つわけです。
また、「ダメ詰まり」も同様の意味で、ダメが詰まっているために、打ちたいところに石が置けないような状況をいいます。日常会話で「駄目詰まりだなあ」と言えば、「万策が尽きた」「手立てがない」というような意味になります。
布石
布石(ふせき)は「石を敷く、配置する」の意で、戦いが起こるまでの石の戦略的な配置のことをいいます。布石は通常、四隅から始まり、辺への展開から中央へと盛り上げていきます。これが日常語に転用され、「ある構想に基づいて将来に向けた準備をする」という意味で、「布石を打つ」「布石を敷く」「布石を投じる」というように使われるようになりました。
定石
定石(じょうせき)は布石の段階で生ずる定型で、部分的に双方が最善手を尽くした結果できた手順やいくつかの変化図をいいます。ただし、部分的には最善であっても、石の発展方向や先手・後手の関係、全体的な形勢判断によっては、必ずしも定石通り打つのが正しいとはいえないことが往々にしてあります。「定石を覚えて二目弱くなり」という川柳(それとも格言?)はそのことを言っており、定石の妄信を戒めています。
日常語への転用でも同じで、「物事を処理する時のお決まりの仕方」という意味で使われます。その定石が個別の状況に合わない場合があったり、定石そのものが古い考え方で、イノベーションが必要になったりすることがある点も、囲碁と同じです。
目算
目算(もくさん)は、一般的な慣用表現では、見込みとかもくろみ、あるいは計画を立てることといった広い意味で使いますが、囲碁では序盤、中盤、終盤にかけて自分と相手に見込まれる地の数を数えることです。正確に地が計算できるかどうかは、ほぼ棋力に比例します。目算の目的は形勢判断をすることで、双方の確定地を数字で把握すると共に、それ以外の要素(将来的な地の可能性や双方の石の強弱など)を総合的に加味して判断し、作戦を立てます。目算が狂うと計画(戦略)の大幅な見直しが必要になることは、囲碁もビジネスも変わりません。
大局観
大局観(たいきょくかん)とは、部分的な優劣や目先の利益にとらわれず、全局を俯瞰しながら、今後の展開を視野に入れた的確な形勢判断を行う能力のことです。上記の目算による形勢判断と比べると感覚的な要素が強く、碁の総合力の反映ともいえるものです。日常語への転用では、物事の全体をつかむ能力があることをいいます。
八百長
八百長(やおちょう)は、今日ではスポーツなどの勝負の世界において、賭博や昇格・降格絡みで行われるアンフェアな行為ですが、名前の由来となった出来事は賭博などとは関係がなかったようです。江戸の末期に、八百屋の長兵衛(通称八百長)という人がいました。八百長さんは相撲の親方とよく囲碁を打っていたのですが、なぜかいつも一勝一敗の引き分けになります。本気を出せば親方より強かったのですが、ご機嫌を取ってうまい具合に負けてあげたのです。このように強い人が、ご機嫌取りのために気づかれないようにうまく負けるのは、現代でも遊びとしての囲碁、将棋、ゴルフ、麻雀などでは珍しいことではありません。
しかし、八百長さんの美談(?)は意味を変え、スポーツ競技などで前もって示し合わせておき、真剣勝負で勝敗が決まったかのようにする行為を指すことが多くなりました。負けたほうは金銭などの見返りが得られるのは言うまでもありません。こんな卑劣な行為に自分の名をつけられた八百長さんがかわいそうですね。
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