囲碁の別称=手談、烏鷺、爛柯、方円の由来
手談 烏鷺 爛柯 方円そうした言葉の由来を知れば、昔の人が囲碁というゲームをどのように考えていたかが分かり、囲碁に対してより親しみが湧くのではないでしょうか。次に、手談、烏鷺、爛柯、方円という言葉の意味や、「囲碁」の意味で使われるようになった由来を順番に説明していきます。
手談
手談という言葉を、囲碁とは関係のない場で初めて聞いた人は、手話のようなものと思うかもしれません。でも、当たらずとも遠からず。盤上に打たれた石が相手に何かを語りかけているかのように感じるところから、囲碁を「手談」というようになったのです。例えば、右の図の左下黒1のカカリは、「下辺から左辺にかけて、白に大きな模様を作られるのは困りますよ」と言っています。対して、白2は「左辺にヒラかれるのはイヤです。どうぞ、三々に入って地を稼いでください」と言っているわけです。すると黒3は「隅に閉じこもるつもりはありません」と言います。
このように、碁を打つということは碁石を通して一手一手、会話をしているともいえるわけです。ただし、こうした「手談」は初級レベルではちぐはぐな会話になりがちで、なかなか成り立ちません。有段者のレベルになって、ようやく手談が成り立つものかもしれません。「手談」は囲碁の面白さの、ある側面を強調したものですが、あまり会話で使われる言葉ではありません。
烏鷺
なお、余談になりますが、「うろ覚え」という言葉は「烏鷺覚え」ではなく、「洞(虚)覚え」だそうです。「烏か鷺か、わからない」でも意味は通りますが、空洞を意味する「うろ」が語源というのは、納得できますね。勝手な思い込みは禁物です。
爛柯
爛柯(らんか)は腐った斧という意味で、「述異記*」に記載されている次のような中国の伝説に由来する言葉です。*註:述異記(じゅついき)は中国の短編小説のことで、爛柯の作者には諸説あり、3人の名が伝えられている。
晋の時代に王質という木こりがいた。ある日、王質が石室山に入ったところ、童子たちが碁を打っているのを見つけ、すっかり見入ってしまった。童子からナツメをもらった王質は、飢えを感じることもなく碁を眺めていたが、しばらくすると持っていた斧が腐っていることに気がついた。そこで王室は山を下りて村に帰ってみたが、知っている人は誰一人いなくなっていた。
爛柯が、「時の経つのも忘れて没入してしまう囲碁の面白さ」を表わしていることはいうまでもありません。こうした時間の喪失感という物語(伝説)のテーマは、浦島太郎も同様で、世界にはいろいろあるようです。民俗学的な意味はよく分かりませんが、ここまで称賛される囲碁の面白さを、感じることができたらどんなに幸せなことでしょうね。
方円
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